大槌町との出会い
2012年8月某日、私は岩手県上閉伊郡大槌町城山公園の高台から東日本大震災の津波で完全に崩壊してしまった旧街並みを呆然と眺めていた。人影なく広大な荒地にがれきが散乱している。残存の建物が微かに一部原形を留めていた。遥向こうにひょつこりひょうたん島のモデルになった蓬莱島が望める。
私は当時ハーバード大学院フェロー(特別研究員)として、Advanced Leadership Initiative Fellowship プログラムに加わり、ソーシャルイノベーション(社会変革)を中心に研修に励んでいた。その年の夏、私はフィールドスタディ(現地学習)を目指し日本へ一時帰国し、東日本大震災の被災地巡りに挑むことにした。偶然ながら、手に取り読んでいたJR東日本大人の休日俱楽部「旅マガジン」の最後のページに津波で乗り込まれた大槌町の旧下町の写真が痛々しく掲載されていた。“思わずこの街に行って見たい。行きたい、行く”と自分に強く言い聞かせ、早速大槌町教育委員会生涯学習課に連絡を入れ、趣旨を伝えアポイントを取り付けた。
私は大槌町中央公民館に隣接する教育委員会の生涯学習課を訪ね、こぎれいな会議室に通された。約束の時間に教育委員会生涯学習課、佐々木健課長(当時)が姿を現した。髪の毛はぼさぼさで口ひげを蓄え、相手を射抜くようなメガネの奥の鋭い眼光に思わず身が締まる思いがした。
大槌町を襲った津波によって、家族(妻と娘さん)そしてお母様まで亡くされた佐々木健さんは、苦悩の日々を淡々と語って下さった。被災地で初めて耳にする生々しい言葉に身震いを覚えた。まさに心の叫びに聞こえた。ビートルズが大好きで、功を奏して独学で習得した英語はとても流ちょうに聞こえる。
佐々木健さんは米国の人気番組CBS「60 Minutes」からも取材を受けられ、全米に放映された映像を後日ユーチューブで拝見した。新たな衝撃を覚えたことが鮮やかに蘇る。
佐々木健さんとの初対面で頂いた一冊の本、「大槌の自然、水、人」-未来へのメッセージ(東北出版企画)は、私の本棚で今でも存在感を発揮している。
面談を終え、大槌町のショッピングセンター、シーサイドタウン・マスト前からバスに乗り、隣町の釜石に向かった。
車窓からの風景に再び息を呑んでしまった。漠然と大槌町を再び訪ねてみたいとの想いで胸が熱くなった。